柴田先生

宝塚の柴田(侑宏)先生か亡くなっていたのですねぇ!!

7月19日だったそうです。
初めて知った!!
え~!新聞にも出ていなかった?
そんな~!冷たいわぁ!!

宝塚からコメントも出てないの~(-"-)

大体、〇田は柴田先生が生徒にも観客にも凄い人気があって、
作品にも出たがる生徒が多いし、観客からも好まれるってのに、異常に嫉妬しておったものねぇ(^_^;

柴田先生が目がご不自由になられて、行動が制約されるざるをえなくなったら、むき出しで柴田先生を外す行動に出て顰蹙を買ったのよ!!
大体、作風や演出方法も違うんだから、自分の道にプライドを持てば、あんな態度は取れなかったはずでした。

もっとも、周囲も悪いのよねぇ。

〇田は最盛期は大型のドラマを構成して、それはそれでスペクタクルでよかったのです(^^)
ベルばらをやろうとか、当時は誰も思いつかなかったんだし、それが今のアニメや漫画を舞台化することに繋がったんだから
そういうプロデューサーとしての感覚は一流でした。

実家のコネ(山村流宗家)を利用して、
長谷川(一夫)や尾上松緑を演出に引っ張り出したり、ホントにプロデューサーとしての力は認めなくちゃなりません。

ただ、〇田作品はベルばらは別として、その時々の流行りものを大がかりに使ったりするから、時代が変わると古びちゃう(^_^;
大がかりな分、地方公演にも持っていきづらい。

オバサンが見始めた頃、レビューの創始者として、今も名前が挙がる白井徹造が老害とか言われて、満を持して出した作品にも、新聞の批評にも「巨匠の失敗作」とか書かれてましたが、〇田も全くその道を辿ってしまったのよねぇ。

オバサンたちが、当時、白井徹造作品を老害だ!と書いたのに同感していた通り、〇田も老害と言われるようになってしまった。

一時は宝塚の代表作家だった柴田先生と〇田の作品に猛烈に優劣が付き始めたのでした。

柴田作品は人情の機微を扱う物が多いので、時代が変わっても名作は名作として受け入れられるし、要するに息が長い!
時代設定を変えなくても、この時代のこういう話、で通じちゃうし、登場人物の書き込みが細やかで、
芝居に熱心な生徒が、とにかく出たがる、やりたがる!

サヨナラ公演は柴田作品で飾りたい、宝塚生活を収めたい、という生徒が続いて、そのあたりから
〇田の嫉妬が始まった(^_^;

オバサンは、最盛期の〇田も観ていて、当然評価していたから、そういう〇田を見るのも嫌だったですねぇ(^_^;
自分の作品にプライドを持っていたら、他人の作品に対してもちゃんと賛辞を贈ることができるはずです。

とにかく、柴田先生はお亡くなりになってしまわれた。

でも、作品は残ります。そういう処は作家さんの良い所です。
まだまだ、これからも再演されるお芝居がたくさんあることでしょう。
柴田先生は生きています。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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